スティーブ・ブランクの顧客開発モデルの解説連載最終回は、いよいよ最後のステップ「組織構築」です。

前回の「顧客開拓」でメインストリーム顧客への移行準備を整えたスタートアップは、遂に組織構造のあり方も含めた方向転換を行います。起業家としての成功と企業の成功は同じ意味にならないことは、起業を経験した人にしか分からないことなのかもしれません。

しかし、自身の経験も含む数多くのスタートアップにて、「創業者」が犯してきた失敗と、出資者を含む取締役会が犯してきた失敗を目撃してきたであろうスティーブ・ブランクは、いずれの失敗も回避可能な組織構築手段を提案しています。

組織構築ステップのゴール「スタートアップのターゲットをメインストリーム顧客へシフトするにあたり、市場タイプの特定、ミッションを中心とした組織体制構築、及び即応性の高い組織の構築を目指す」を念頭に置いて、最後のステップをご確認下さい。

組織構築は以下の4つのフェーズに分かれます。

1.メインストリーム顧客基盤の構築

2.経営と企業文化の課題

3.機能別部門への移行

4.即応性の高い部門の構築

では詳しく見ていきましょう。

■1.メインストリーム顧客基盤の構築

これまでのステップでエバンジェリストユーザへの製品販売に成功してきたスタートアップは、さらなる売上の拡大にむけてメインストリーム顧客にターゲットをシフトします。この際、大企業であれスタートアップであれ、直面する課題は「キャズム」です。

キャズムとは、初期顧客であるエバンジェリストユーザと、メインストリームの実利主義者である顧客との間に存在する、製品に対するニーズのギャップです。製品の価値を自ら見出して不具合の存在も受け入れたエバンジェリストユーザと異なり、実利主義者であるメインストリーム顧客は不具合を受け入れることはありません。また、エバンジェリストユーザがある特定の機能だけ備えていれば存在価値を認めてくれていたのに対し、実利主義者はいわゆる「ホールプロダクト」を要求します。こうしたギャップがキャズムとして存在しているのです。

キャズムを超えるための戦略をたてる際にも、これまでに見てきた市場タイプが重要です。既存市場ではすでにメインストリーム顧客が製品の価値を認めているのに対して、新規市場になるほどキャズムの幅は大きいからです。

多くのスタートアップが新規市場または再セグメント化された既存市場をターゲットしていることから、スタートアップにとってキャズムへのチャレンジは常に困難を極めます。

多くの場合、この両市場における売上げ曲線は「均一な右肩上がり」にはならず、数年かけてある特定のユーザ数を獲得した後に売上げが急上昇する、いわゆる「ホッケースティック型」の売上げを示す傾向にあります。

こうした上昇曲線を起こすための戦略として、徹底したニッチ市場開拓を行い、ティッピングポイントを創出することが主要な戦略となるのです。

しかし、こうした活動は早期に結果として現れることは少なく、成功する企業でも少なくとも1年以上の「横ばい」を続けるため、資金繰りや支出管理、人員採用をいつ行うべきか、といった課題については常にウォッチしていく必要があります。

■2.経営と企業文化の課題

これまでのステップで、スタートアップは「学習と発見」という企業文化を築いてきました。しかし、メインストリームへとターゲットをシフトする上では、この文化だけでは十分ではありません。創業者の奮闘によって支えてきたスタートアップを、組織によって売上げを達成する企業へと変換していくためです。このためには、現在の経営陣がそうしたシフトに対しても能力を発揮できるのかを見極めるとともに、全社に共通するミッションを中心とした企業文化を築いていく必要があるのです。

初期の成長を無事に終えたスタートアップでも、成長期を迎えた段階で創業者の失脚を伴うケースは少なくありません。

職人としての才能を発揮してきた創業者が、企業の成長と共に経営者としての成長を伴っているとは限らないからです。

多くのビジネスマンが過去の成功に拠り所を求めるように、初期の最も困難な時期を乗り越えた創業者は、成長期においても同じやり方が正しいと信じているのです。

これに対し、出資者から構成される取締役会は、企業が成長期を無事に乗り越えるには、創業者の経営能力では不足していると考えます。そして、企業の「あるべき姿」とそのプロセスを知っている、大企業出身のプロの経営者を連れてきたがるのです。

スタートアップが成長期を迎える際に、こうした両極端の選択肢しか存在しないということに、スティーブ・ブランクは異を唱えています。

スティーブ・ブランクの主張はシンプルで、顧客開発を中心とした組織でも、プロセスを中心とした組織でも、キャズムを超えることはできないということです。

キャズムを超えていくためには、学習と発見という知識を活かしつつ、かつ、より大きな組織となるスタートアップが俊敏さを失わない組織体系が必要なのです。

言うまでもなくプロセス主導の組織からは俊敏さは失われます。このことからも分かるとおり、プロセス主導の組織が有効なのは、既存市場へのチャレンジか、安定期に入った企業です。そして同時に、メインストリーム市場へのチャレンジには「組織の拡張性」が必要となり、それを実現するための「プロセス以外」の手段が必要なのです。

では、俊敏な対応を可能にしたまま組織を大きするにはどうしたら良いのでしょうか?

スティーブ・ブランクの答えは、「ミッション中心の組織へ移行すること」です。

ミッション中心の組織とは、企業の成長に伴う様々な変化に対し、定義されたミッションをもとにして、組織が俊敏な対応を維持できる組織体制のありかたなのです。

スタートアップのビジョンをミッションステートメントという形にすることで具体的な行動目標とし、創業者ではないメンバーでもビジョンを理解した上で取るべき行動が判断可能な企業文化を形成するのです。

こうしたミッション中心の組織形成においては、ミッションステートメントを適切に設定することが非常に重要となりますが、ここでもスタートアップがチャレンジする市場タイプとマッチしたミッションステートメントを記載することが大切です。マーケットに向けたステートメントではなく、社内に向けて「どのような市場タイプへのチャレンジ」であるかを明確にすることで、誰もが理解でき、行動に移すことが可能な「俊敏な組織」が形成可能となるのです。

■3.機能別部門への移行

スタートアップが何を実現するために存在しているか?というビジョンをミッションステートメントとして書き記したら、いよいよ顧客開発部隊を解散し、公式の部門へと移行します。創業者たちが学習と発見を通じて進化させてきた組織を、拡張性があり、それでいてキャズムを超えるための推進力を失わない組織体制へと移行するのです。

ここでも重要なのは、大企業が構築する型にはまった部門を構築して人員配備を行って組織を拡張していくのではなく、市場タイプの応じた戦略的ニーズから組織づくりを行うということです。やってはいけないのは、部門を統括することになるメンバーが「部門を構築すること」そのものを自分のミッションだと勘違いしたり、市場タイプを無視して以前に所属した組織(特に大企業)の経験のみを頼りにした組織形成を行うことです。

こうしたリスクに対応するには、全社的なミッションステートメントだけでなく、部門別に策定されたミッションステートメントと役割を定義することで回避するのです。

例えば、新規市場にチャレンジするスタートアップにおけるマーケティング部門のミッションは、主にニッチ市場におけるティッピングポイントを創出することであって、ブランディング戦略で競合との優位性を確保することではないのです。(市場が存在しない、またはこれから拡大する、という状態の市場におけるブランディングはほとんど意味を成さないばかりか、多大な浪費を伴う)

同様に、営業部門はエバンジェリストユーザがメインストリーム市場の典型的な顧客だと勘違いしたり、事業開発部門が、やみくもに業務提携を推進し、エバンジェリストユーザから獲得した差別化を失ったりするリスクについても、部門別のミッションステートメントを策定することで回避していくのです。

■4.即応性の高い部門の構築

顧客開発モデルの4つのステップを着実にこなしてきたスタートアップも、いよいよ最終ステップの最終フェーズを迎えます。

製品に対する仮説、顧客に対する仮説を設定し、学習と発見を行動規範として進化してきたスタートアップが、機能別部門への移行準備を整えて、より大きな市場での戦いに挑んでいきます。

スティーブ・ブランクによる最後のメッセージは、このような組織がより高い効果を発揮するための企業文化形成に向けた、2つの原理原則の提案で締めくくっています。

それは、素早い意思決定を可能にするための即応性の高い部門の構築に向けて、意思決定の分散化と、OODAループを基礎とした行動規範です。

これまでのステップでは、学習と発見から学んだことは、よりフラットな組織である顧客開発部隊を中心として意思決定してきましたが、これを、顧客、市場、競合の変化に対して各部門がリアルタイムに対応できるよう、意思決定権限を分散化する必要があるのです。大企業と中小企業の強みと弱みの象徴である「意思決定に要する時間」をこれからも高い俊敏性をもって維持するためには、ミッションを中心とした企業文化と権限委譲を行うことによる分散型の管理手法の構築を欠かすことはできないのです。

また、次の方向性を見出すための手法として、PDCAではなく、OODAというサイクルが有効だと提案しています。

OODAループはアメリカ空軍にて提唱された意思決定理論で、短い時間で指揮官が下すべき意思決定行うための行動理論です。

OODAとは、情報収集(observe)、情報分析(orient)、意思決定(decide)、作戦行動(act)のサイクルを繰り返すことで意思決定を行うためのプロセスです。

PDCAとOODAのそれぞれの利点については様々な解釈があり、私個人としては、その優位性の言及は避けようかと思いますが、違いを明確にするとした場合、OODAという意思決定プロセスは外部から収集した情報を起源として意思決定を行い、行動に移すということです。

もともと戦場における意思決定プロセスとしてのOODAは、ビジネスという戦場においても顧客、市場、競合の変化を観察(observe)することを意思決定の最初の情報にするという意味ではたしかに適切なプロセスなのかもしれません。「大企業病」などと揶揄される意思決定の遅さによるビジネスへのデメリットは、原因のほとんどが企業内部だけの問題に起因しているとも言われているため、OODAの優位性が「外部の情報」にあることは確かに評価できるのかもしれません。

こうした外部環境への変化に対する評価基準としての「ミッション中心の組織」が形成され、「ミッションとの対比による外部観察を従業員が可能となる権限委譲」が行われ、「全車共通のミッションによる部門間の相互の信頼関係」が構築された組織は、確かにキャズムへ挑戦するには最適な組織と言えるでしょう。

このような組織が従業員自らのリーダーシップを醸成し、それでいて経営者の意図が組織の隅々まで行き届いた時に、スタートアップはついに大企業の仲間入りを果たすのかもしれません。

最後のステップ「組織構築」はいかがでしたでしょうか。

正直、このステップまでたどり着いたスタートアップは既に成功していると言えるかと思いますが、スティーブ・ブランクは企業の成功と起業家の成功をしっかりと区別したために、この「組織構築」のステップが生まれたように思います。

特に近年、アップル、アマゾン、グーグルといった、創業者がそのまま経営を続投することで成功するスタートアップが増えていることから、大企業になっても成長を続けるためには、創業者の理念が企業に残り続けることの意義を強く感じたことによる、4つめのステップなのかもしれません。

スティーブ・ブランク自身は、起業家のタイプとしてはいわゆる「シリアル・アントレプレナー」です。シリアル・アントレプレナーとは、スタートアップの成否にかかわらず起業を繰り返すタイプの起業家で、長期間にわたって同じ会社を経営し続けるというタイプではありません。

しかし、長期間に渡るコンサルティングにおいては、長期の関与を望みながらも経営から追い出された起業家や、創業者を追い出すことで勢いを失ったスタートアップを数々見てきたのかもしれません。そうした想いが、最後のステップに現れたのではないでしょうか。

4回にわたり、リーンスタートアップの中核をなす「顧客開発モデル」を取り上げましたが、そのエッセンスは伝わりましたでしょうか?

もし記事中で不明な箇所などがあれば、ぜひコメントやご意見をお寄せ頂ければと思っています。

今後は、顧客開発モデルの重要なポイント(Pivotや市場タイプなど)に絞り込んだ記事や、リーンスタートアップを形成するその他の重要なポイントについてご紹介していく予定です。

皆様のご意見、ご感想を広くお待ちしております。

4回のご購読、ありがとうございました。